(AIによる冒頭の詩を絵画化したもの)

 

 

 ご来場いただいた方、このページを見ていただいた方、ありがとうございます。やや長くなりますが、このページでは2022年-2023年に東京と名古屋で上演する『暗闇が掴んだことのない光』についての背景と解釈を書き記したいと思います。但し、これは解説ではなく一つの創作者側からのヒントに過ぎず、全ての人が自分の物語として今まで忘れていたり気づかなかった「何か」に出会うことが重要であることを、念頭においていただきたくことをはじめに強くお勧めしたいと思います。

 2019年に行った展示《無人演劇祭》でも触れたようにジャック・ランシエールの言葉を借りれば「観客が能動的な解釈者の役割を演じ、彼ら(=あなた)自信の翻訳を練り上げることで「物語」を自分のものとし、そこから彼ら自信の物語を紡ぐことを要請する」という考え方がこの作品にも願うことです。

 

 

 

 この作品の舞台は「常夜の国」と呼ばれる人工的な自治国家で、視覚障害や醜形恐怖、ルッキズムに苦しめられた人などが、視覚情報のない国を実験的に作ることで、幸福な国を目指したというものです。現実の世界にも、世界にはさまざまな理由で独立した国や自治区がご存知のようにいくつも存在します。それらは決して簡単な道程で成り立ったものではありません。国家に関わらず会社や学校、家族、協会、組合、劇団、宗教、LINEグループ、自治会、コレクティブなど大小さまざまな組織や共同体に私たちは囲まれながら生活しています。私は(かつては大学や会社に属していましたが)フリーランスという立場を取り協会や会社に属しておらず、比較的自由な家庭に育ったため強く共同体には属していないようですが、LIVE RALLYのメンバーとして、管理する劇場のスタッフとして、元職場の一員として、学校のOBとして、日本という国の国民としてなど様々な共同体の一部として社会生活をしています。どんな共同体もはじめは理想を掲げたり必要とされてできた場だと思います。しかし人との関わりにおいては完璧な組織や共同体は存在しません。言い切ってしまえば全ての人にとって幸福な共同体は幻想なのです。それでも人と人が集まる場を作ることが古来より舞台の役割です。今の共同体から逃げたい人たちが集まったら、そんなことからこの「常夜の国」は生まれました。

 お気づきの方も多いかと思いますが、この作品には2020年の4月にコロナ禍によって観客を入れての上演を不完全なまま断念した『盲人書簡2020』のエッセンスが引き継がれています。寺山修司の『盲人書簡 上海篇』(1975)を本当の多様性ではとのアプローチを考えていたものですが、テキストをそのままに現代にアップデートするには抽象的にする必要が生じ、今回はその選択をせずにより身近な問題として暗闇と光といったコンセプトに寄り添い、コロナ禍を経て私たちが向き合うべき暗闇を見つめてみようという企画に至りました。

 

 

 

ここからはネタバレを含みます。

観劇前にご覧の際はご注意ください。

 

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シーンにおけるメモ

 

 

 

開場 - 人工自然

開場中には出演俳優の野崎詩乃の実際の過去VHSから起こしてもらった1994年ごろの音声が再生されている。

過去を記録する媒体からの音質はここからの話がドキュメンタリーであるかのように暗示するが、個人的な記憶であり事実である確証はない。

また、置かれた観葉植物のイミテーションはここからの音や話の全てが上記とは反対に全て造られたものであることを示している。

この作品には視覚的な情報はほとんど存在しないが、登場する海や森は音声データに過ぎず国そのものも人工的なものであることと繋がっている。

日本の自然に囲まれているようだが、都市の自然の多くは植樹などによって造られた人工的な自然である。

人間が「自然だ」と思えばそれは自然なのだろうか。

 

 

 

 プロローグ Prologue

植村はここで照度を測りつつ案内と共に暗闇へと案内します。

照度<Lx>は光を示す。日本では2022年電力が逼迫してから照明を抑える店舗や会社の光景を見かけるようになってきたが、

JIS(日本工業規格)による基準が設けられている。

オーストラリアに行った際にお店が日本に比べ暗かった印象があるが、それもそのはず200Lx程度であるのに対して日本は1000-2000Lxに設定されているのです。

さてそんな明るい国から一転暗闇の国へ行ってみようという試み。

 

 

 

1.  AM 4:00

ここではカール・グスタフ・ユング『Mysterium Coniunctions.GW14』(1955/1956)からの患者の夢の引用をベースに私のよく見ていた夢を織り交ぜたテキストを用いている。ユングは集合的無意識の研究をしていたが、夢という抽象的な世界に入るために聞こえるような聞こえないような発声で導入している。

 

タイトルの”暗闇が掴んだことのない光”とはユングの言葉です。

以下引用です。

「暗闇の光に対する希求は、光がもはや暗闇によって解明されることのないときのみに満たされることになる。

暗闇には暗闇特有の知性と、極めて真剣に受け止められるべき特有の理論が備わっている。「暗闇が掴んだことのない光」のみが、暗闇を照らし出すことができる。

 

暗闇が自らの力で把握し、思考し、理解したあらゆるものは暗く、そのために、暗闇は予期しないもの、望まないもの、理解できないものによってしか照らし出されることはない。」

この光とは何か「予期しないもの、望まないもの、理解できないもの」とは、といった事を稽古では俳優と話し合っていますが、

「これが光だ」と言えるものは存在せず100人に100通りの光が存在するためそれぞれの自分の光を探すことしかできないのでしょう。

*この作品のために竹中菜苗著『暗闇への探究-循環する闇と光の心理臨床学的研究-』(2017)を大いに参考にさせていただいています。

臨床心理の側面からもご興味ある方は是非お読みください。

 

 

2.  電車

電車というモチーフは宮沢賢治『銀河鉄道の夜』(銀河鉄道の夜をモチーフとした『閉鎖空間』という作品を2013年にやっています)などとも繋がる、別の世界へ接続する乗り物として登場させる。寺山の『盲人書簡』では「記憶の汽車」というものが最後に主人公の小林少年の元に訪れるが、そこでも『銀河鉄道の夜』が引用されている。ここでのアナウンスは開場中と同様の音質で頭上のトランペットスピーカー(街のサイレンなどに用いられる)から流れる

 

3.  穴

人工の国である常夜の国は森(のイメージ)が自然がそこにあるように再現されている。

ダンテの『神曲』で道半ば(30歳)迷い込んだのは森であるが、(神戸連続児童殺傷事件の酒鬼薔薇聖斗も手紙で引用)森はいつもはじまりの場所である。

 

山本と名乗る謎の男が穴の中から助けを求めて呼んでいる。

TBSの番組水曜日のダウンタウン内で行われた説「落とし穴に落ちたのにネタばらしが来ないまま日が暮れたら正気じゃいられない説」(2021)

では芸人が落とし穴に落とされたまま数時間が経過するのだが、そこに現れた人物とのやりとりの奇妙さはまるで寺山の世界の人物のようであった。

猫の名前は汎神論を唱えたスピノザの『エチカ』(1677)より。

 

 

・断片的な記憶:絵本を読む音 オスカー・ワイルド『幸福な王子』

 

4.  食卓

過去の回想<この記憶は捏造されている>

しかし、先ほど初めて会ったはずの山本が何食わぬ顔で「家族」という共同体の中に存在して食卓にいる。

そしてそんな家族を俯瞰する視点で聴く野崎。そこにはもちろん自分もいるのだが...

 

 

5.  鏡

ディドロの『盲人書簡』(1749)では目の見えない女性が鏡を見るという話がある。寺山の盲人書簡でも暗闇で鏡を注文するという同様のシーンが存在するが

鏡は世界を反射して見せること以上に自分と向き合うという心理的な効果もあるように思う。

カディール・アティア『記憶を映して』(2016)という映像作品で幻肢痛からの鏡を使った療法をトラウマにも用いる試みがされていたことや、アンドレイ・タルコフスキーの自伝的な作品『鏡』(1980)にも鏡が精神療法的な扱いがされており、見えること以上に役目が鏡という存在自体にあるのかもしれない。

 

宅急便については2020-21年にオンラインで行った作品『DEPTH』の中でも重要な要素として用いている (*内容はこちらでご覧いただけます。→ 1  2)

DEPTHはプライベートであったり違法であったり未完成であったり、サーチエンジンで容易に見られない部分、いわゆる深層WEBではこんなことがあるかもしれない、

という事象をインターネット上で演じてみるというプロジェクトでした。この中で野崎がYoutuberとして語った内容がこの後に語られます。

 

語られる記憶は野崎の実際の記憶。その小さなログハウスに入れなかったことは、幼い頃から既に共同体は形成されていたこととも繋がる。

心音に呼応するメトロノームの音だけが無情に進んでいく。

 

 

6.  病院

10年前、病院での出来事。<この記憶は捏造されている>

目の手術を終えた直後の病室での出来事のようだ。

しかしこの病院は果たして本当に外科なのだろうか?

 

 

7.  レクチャー

モリヌークス問題についてフランク・ジャクソンの思考実験の紹介から授業の場面に移っていく。

この中で並列に発せられるワード(学校、寺院、工場など)は火事によって燃える対象ではあるが、何を連想するかが人それぞれとなるように

詳しくは語られない。これはユングの「言語連想法」(”頭” ”緑の””水”といった単語に被験者が何を連想するかを内容とその時間などから解明していく心理療法の一種)のように用いている。

 

この学校の先生はかつてこの国の建国に携わった一人だと想定している。

祖国を失い、この国に亡命してきたのかもしれない。

それだけに祖国を燃やした火を嫌い、光から遠ざかる影の住人なのだ。

(先生の声は黒蜥蜴を演じている俳優の石原朋香が担当。)

 

 

 

8.  影の店

光を探して秋葉原のような問屋街を回ることにした少女。常夜の国では<焚き火>が時報に用いられている。

暗闇といえば2017年になかのひとよ氏による展示ブラックボックス展がSNSを賑わせた。

はじめは盛況ぶりから良い意味であったが、セクハラ被害など問題がおきたことでアルテマレベルと呼ばれる厳戒態勢に切り替えたが、

賛否両論の中展示を終えた。暗闇の世界でもいくら誓約書を書いても信頼のおける人しか入れずとも、いつしか問題が起きるのかもしれない。

 

 

 - 幕 間 -

暗闇で音を出さないことは限りなく無に近づく。

無の時間を作り観客の皆さんが考える余白の時間を持ちたい。少し休憩しましょう

 

9. 想像の海

暗闇に何を想像するか、という問いに山本は深海と答えた。海にまつわる話をするが、それは想像の中の海の光景である。

海の記憶は島国である日本では多くの人が持っており、地続きに他の国とも繋がっている。

集合的無意識の中にも海というモチーフは海に面した国に共通であるのかもしれない。

 

1: Practice Adagio

2: Percussion

3: Allegro

 

オーシャンドラム:山本 大介

ウクレレ:野崎 詩乃

カリンバ:植村 真

 

山本は再び役の中に入っている。海の記憶を語ると

立ち入り禁止の海の中へと入っていく。

波は次第にノイズとなる

ノイズを抜けると静謐なメタ空間が広がっている...

 

10. 燐寸

境界の先、夢を抜け出して山本は現実を見る。

マッチを使う機会は今やライター等のない場面での蝋燭に火を灯すなど特殊な場面になってきてしまった。

光としての役割よりも”火をつける”という行為に感じるこの一瞬の光源は、盲人書簡では観客に配られたが、今や照らすためのものではないのかもしれない。

 

場面は教室の場面に切り替わる。

光のない世界の中でも光についての知識だけを蓄積してゆく、まさに色のない世界のメアリーのように。

 

学校からの帰り、普段は雨など降らない自治区で驟雨に遭遇する。

 

雨の帰り道、野崎は再び山本と出会う。

山本は知っていた、この雨が本当の雨ではないことを。なぜならここは地下なのだ。

そして山本は飼っていた猫のエチカが死んだという。

しかしそれは本当だろうか? 

 11. IN THE DARK

サンプリング:谷山浩子『まっくら森のうた』三島由紀夫 近代能楽集より『弱法師』(1960)谷崎潤一郎『陰影礼讃』(1939)

Track make : MakotoUemura

 

*1が繰り返される。

しかしその最後はモノローグではなく、別の自分が立ち現れる。

 

12 なにもない空間

 

話が進むにつれ 我々はどこにも 向かっていない   気がする。

(J.ケージ『無についてのレクチャー』)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

13 光

 

「そう。猫は屍骸を燃やすと、とてもいいランプの燃料になるのです。  

それに、猫の目玉は一つでも役に立つ。あれは灯りです。世界中の電気が消えても、猫が一匹いれば不自由することはないのです。

むかしの人たちは猫の目玉の明るさだけで、百冊の書物を読んだのですよ。

それに、わたしは猫の目玉をみがくのがとても好き。あれはこの世で一番小さな鏡なのです。」寺山修司『盲人書簡 上海篇』

 

盲人書簡では影を探す少女が存在するが、この影はすなわちユングのいうところのシャドーであると推測することができる。シャドーと向き合うことができない時、私たちは鬱に陥ったり人を傷つけたり、自分を見失ったりしてしまう。この物語はシャドーと向き合うために光を探す少女が、そして私たちが影<シャドー>と向き合っていく話なのかもしれない。

 

 

ep 終演

終演を公演という性質上取らなくてはならないが、この作品に終わりはありません。

この光はあなたにとって本当の光たり得るものではないでしょう。本当の光をどうか見つけていってください。

ここまでお付き合いいただきありがとうございました。

 

脚本・演出  |  植村 真

脚本協力(記憶)・出演  |  野崎詩乃、山本大介

声の出演  |  石原朋香

音楽  |  増田義基、植村真

サウンドデザイン |  増田義基

翻訳協力 | 上埜すみれ

制作  |  LIVE RALLY

協力  |  丹野理佐(演奏芸術センター)、梅田優起、七星束子(青年団)

音響協力  |  田中小太郎

 

会場 |  SCOOL(東京公演) ナンジャーレ(名古屋公演) 

 

引用・参考資料

MONSTER.ch 業種やシーンで比較!店舗照明に最適な明るさを見直そう

寺山修司『盲人書簡 上海篇』(1975)

ダンテ・アリギエーリ『神曲 地獄篇』(1555)

三島由紀夫 近代能楽集より『弱法師』(1960)

C.G.ユング『Mysterium Coniunctions.GW14』(1955/1956)他

竹中菜苗『暗闇への探究-循環する闇と光の心理臨床学的研究-』(2017)

C.G.ユング『連想実験』林道義訳(1993 理想社)

ディドロ『盲人書簡』(1749)

フランク・ジャクソン『随伴現象的クオリア』(1982)

谷崎潤一郎『陰影礼讃』(1939)

宮沢賢治『春と修羅』(1924)

谷山浩子《まっくら森のうた》(2000)

オスカー・ワイルド『幸福の王子』 翻訳:結城浩

J.Cage『サイレンス』柿沼敏江訳(1996 水声社)

アンドレイ・タルコフスキー『鏡』(1975公開)

 

 

 

 

 

 

創作の中でのリサーチ:光と闇にまつわる歴史>

プロメテウスが暗闇の中の人類に火を与えて罪となる

『ヨハネによる福音書』光=神 闇=悪魔の先行イメージ

375頃 プラトン『国家』

1000頃 ハイサム『光学の書』

1749  ドニ・ディドロ『盲人書簡』

1773  人形浄瑠璃『攝州合邦辻』初演

1800 赤外線の発見

1801 紫外線の発見 干渉実験によって光の波動説が唱えられる

1908 統合失調症の症状を説明するために、自閉症の語源「autism」という言葉を、ドイツの精神科医Eugen Bleulerが使用

1932 谷崎潤一郎『盲人物語』

1939  谷崎潤一郎『陰影礼讃』

1943 アメリカの児童精神科医カナーによる「情緒的接触の自閉的障害」の発表

1947 レヴィナス『実存から実存者へ』暗闇を存在するものとして捉える

1978  寺山修司・岸田理生『身毒丸』初演

1948 盲・聾学校 就学義務化

1952 鷲見たえ子が日本精神神経学会総会で自閉症の第一症例の発表

        カナー型自閉症に関して牧田清志が紹介 アスペルガーの自閉生精神病質は平井信義によって紹介

        →両者は性質が異なるが、教育界では同一視された

1960 身体障害者雇用促進法

1961 レヴィナス『全体性と無限』

1965 ピーター・シェーファー『ブラック・コメディ』

1968 マイケル・ラターによる言語・認知障害説

1969  ロートレアモン伯爵『マルドロールの歌』、栗田勇訳、現代思潮社

   自閉症児のための情緒障害特殊学級設立

1969 ドラえもん第1巻「かげがり」

1972  カール・ユング『思い出・夢・思想』

   特殊学級10年計画の策定

1973  劇団◎天井桟敷「盲人書簡」初演

1974 折口信夫 『死者の書 身毒丸』

1976  イギリスのウィングが早期小児自閉症のなかでアスペルガーの自閉性精神病質の概念を紹介

1977 寺山修司 映画『マルドロールの歌』

1980 タルコフスキー『鏡』

1984 P-MODEL アルバム〈SCUBA〉(ユングの夢分析・集合的無意識からの影響)集合的無意識を海底と表現

1985 バロンコーヘンによる心の理論の、自閉症児の障害との関係に関する研究

1985-  谷山浩子《まっくら森のうた》

1986 でんきの科学館開館「暗闇の迷路」(植村 小学校の時に何度か体験)

1987  障害者雇用促進法制定

 

1988- ダイアローグインザダーク(1988-)ドイツの哲学博士アンドレアス・ハイネッケがはじめる

1995 荒川修作+マドリンギンズ 養老天明反転地「地霊」「陥入膜の道」(植村 小学校の時に経験 以来通う)

    ジョゼ・サラマーゴ『白の闇』

1998ごろ 植村、科学館の天文クラブに入りプラネタリウムに通う

1999- ダイアローグインザダーク日本上陸

2000 清水寺随求道 胎内巡り公開

2003- 大川興業「暗闇演劇」をはじめる。「ゆめにっき」ve.1公開

   (植村 2009年に舞台化演出)

2006 ポケモンダイパの中でなぞのばしょと呼ばれる暗闇に閉じ込められる人が続出する

2007 特別支援教育の本格的実施(特殊教育から特別支援教育へ)

    障害者権利条約署名(インクルーシブ教育システムの理念、合理的配慮など)

    世界自閉症啓発デーの認定

2008 映画『ブラインドネス』フェルナンド・メイレレス

2009  特別支援学級の対象に自閉症を明記

2010 ボルタンスキー「心臓音のアーカイブ」(瀬戸内国際芸術祭)

    クリストファー・ノーラン『インセプション』(ユングの影響大と言われる)

2010 発達障害が障害者に含まれるものであることを障害者自立支援法、児童福祉法において明確化

2011 大川興業「暗闇演劇」で特許取得

          3.11での大規模停電

2012 川内倫子『光と影』

2013- 『闇芝居』都市伝説をテーマに

        障害者差別解消法制定 DSM-5

    植村『記憶のアポトーシス』@ATLAS展

2015- ミュージックインザダークCOI拠点が開催(植村、照明会社の仕事に病む中でDIDを表参道で体験)

2017 竹中菜苗『暗闇への探究-循環する闇と光の心理臨床学的研究-』刊行

    なかのひとよ「BLACK BOX(#ブラックボックス展)」ART&SCIENCE GALLERY LAB AXIOM →3万人以上が詰めかけるも痴漢騒動に発展、炎上

2018  全盲の芸人濱田祐太郎氏がR-1ぐらんぷり優勝

    LIVE RALLY『弱法師-Experience of the End-』(近代能楽集より)

2019 サカナクションライブ『暗闇』( あいちトリエンナーレ)

  「嵐ヶ丘 地の果てで響く声」(2019 BUoY)懐中電灯

2019 ダイアローグインザダーク「内なる美、ととのう暗闇」オープン

2020 武漢でコロナの存在を訴えた眼科医亡くなる。 

   LIVE RALLY『盲人書簡2020』

  サイモン・マクバーニー『The Encounter』

  イオンモール「五感をくすぐる!恐怖の暗闇迷路」

2021 TikTokで#shadowworkが流行

   LIVE RALLY『DEPTH』をオンラインで展開

2022 演劇実験室◎万有引力20年ぶり上演

   アピチャッポン・ウィーラセタクン『太陽との対話』

           world's end girlfriend『144分間の暗闇爆音強制視聴会』

-2023 LIVE RALLY『暗闇が掴んだことのない光』